愛奈美のプロフィール!! <薔薇城の愛 Memorial V/ばらじょうのあい メモリアル 3/The ai Memorial of the rose Castle> / Webmart−友愛北海旅情

愛奈美のプロフィール-TOP愛奈美の生い立ち

♪♪♪BGM・曲名:夢,作曲:ドビュッシー♪♪♪
MIDI素材,データ制作:ILOVE STOCK&MUSIC−Aki/(満月ろーど)♪♪♪

愛奈美の生い立ち ハート

おおざっぱでは有りますが、
愛奈美の生きてきた道のりを書き留めておきたいと思います

 小川のせせらぎと、野山には狐や兎、小川には蛍が住み、お部屋には蝋燭が灯るあばら屋に生まれました。電気やガス・水道も無く、煮炊きと暖房は薪を使っていました。納屋には馬、鶏舎には数羽の鶏、畑にはグスベリやフサスグリ、イチゴやリンゴ、プラムやスモモとグミ等、切り花の栽培と白菜や大根、ジャガイモや南瓜なども作っていたわね。おやつは畑で取れる果物や野山で取れる木イチゴやアケビとコクワ等々、我が家には、現在のようなチョコレートやお菓子類・ケーキ類は殆ど有りませんでした。

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遠いお隣さん  ▼

大自然に囲まれた生活だったね

 お隣までは、秋には鮭が遡上し、ヤマメやカジカ、ヤツメウナギが住む大きな川を挟んで数キロの道のりを歩いて行かなくては為りませんでした。  川には私設の橋が架けられていましたが、大雨の時には濁流に流されて橋が無くなってしまうこともしばしばありました。橋を架け直すには高額な資金が必要となり、新しい橋が架かるまでには数年を必要としました。川では採石がが行われ、ダイナマイトを使って岩盤を砕き川石を採掘していました。
命あっての物種だよね!!  ▼

幼少時の在る日

 ある日愛奈美はお友達と共に鍵が掛かっていない「火薬庫⇒ダイナマイト保管庫」から、それが爆発するダイナマイトとは知らずに、ダイナマイト火薬を持ち出し、大きな木の根元の穴の中で火を付けて燃やしたことがありました。この時は時々ごく僅かにドンドンという音がして少し怖かったわね。もちろんダイナマイトの火薬が紛失したことで大騒ぎとなり、数日後に私が行ったことが発覚し、大目玉を食らったことは言うまでもありません。その後は火薬庫には厳重に鍵がかけられていました。

 また、ある時は川で一人遊びをしている時に苔に足を取られ、転びそうになった時に側にあった小枝を掴んだつもりが、採石用の機械に使用する為に低く張り巡らされた高圧電線を掴んでしまい、身動きが出来ない状態となり、作業員の方が愛奈美を見つけて現場監督に知らせ、電源のブレーカーを落として電気が遮断され、十数分後にようやく動ける状態となったこともありました。

 今考えると、どちらもその時に命を無くしても良いような出来事でした。どちらも怪我無く、よく無事で生還できたものだと思います。きっと、神様が助けてくださったのではないかかと思います。

赤い靴 … 欲しいなぁ! ▼

大勢の中では息苦しいの!

 愛奈美は幼少の頃から集団の中に居ることは苦痛でした。母が手を尽くしてくれ幼稚園に入るように進めてくれましたが、愛奈美は気が進まずにいました。

 そんなある日一日体験入園のために靴を買うことになりましたが、お店で目の前にあった『赤い靴』が気に入ってこれを買ってと言いましたが、母は「愚図らずにね、男の子だから青い靴にしなさい」と言い、愛奈美の希望が叶うことはありませんでした。

 そして…結局体験入学もせず、幼稚園に通うことを拒んでしまったのです。

 幼少のころ、いつも、女の子とままごと遊びをしまして楽しかったことが記憶に残っていますが、時には兄に混じって男の子と「チャンバラ」ごっこをすることもありました。また、姉や姉の女友達と遊ぶことが多かったです。
でも …殆どは犬や猫を相手に野山での一人遊びでした。

スカートで嬉しいの! ▼

 姉は妹が欲しかったのか?私にスカートを履かせて連れて歩くことがよくありました。私もスカートを履くことは嬉しかったのですが、そんなある日姉のお友達から「男の子なのにスカートを履いて可笑しいわ。」と笑われてしまい、姉も私を庇ってはくれたのですが、その後スカートを履くことに心の抵抗を覚え、スカートを履くことはありませんでした。

小学生の頃は? ▼

いじめられっ子だったよ

 小学校への入学後も、学校の帰り道などに虐められ、いつも泣かされて帰ってきました。泣いている私を見て姉が後で男の子達に注意してくれたりと、姉に助けて貰った事もよくありました。

 級友達とはあまり遊ばなかったように記憶しています。小学校に入っても、遊び友達といえば、犬と猫たちと野山で遊ぶことが多かったように思います。動物達は、皆、私になついて、とても可愛かったわ。

愛犬の事故死

 小学2年生の頃だったかしら?そんな在る日、学校から帰ってくると「あなたの家の犬が車にひかれて死んでいるよと」顔見知りのおばさんが教えてくれたの。教えられたところへ行ってみると、そこには、いつも遊んでいた愛犬が冷たくなって横たわっていたわ。私は涙が溢れてきました。そして、泣きながら私の背と同じくらい大きく重い犬を5キロほどの道のりを引きづって連れて帰り、穴を掘り、埋めてお墓を作りました。犬を連れ帰る時、通り係の人々が「気持ちが悪い」等と囁き合っているのが聞こえましたが、私は犬を連れ帰るだけで精一杯でした。

交通事故に遭ったけれど …

 また、小学一年生の時に学校帰りのバスから降りて、バスの前を通り道路の向かい側へ渡ろうとしました。この時私はバスの後ろから来る車をよく確認せずに道路を渡りだしたために車にはねられてしまいました。2〜3m程はね飛ばされ、皆さん私の処に駆け寄ってくださいましたが、幸いにかすり傷も負わずに難を逃れることが出来たのがとても不思議でした。後からこの事故を聴いた母もびっくりしていました。きっと神様に守られてのことでしょう感謝です。ありがとうございましす。m(_ _)m

どもりとカラオケが嫌いな訳

 授業中に朗読で上手く読めずにつっかかたり、歌唱では音痴のために十数回も歌い直させられたりしたよ。そのためクラスの皆さんから笑われ、ますますどもったり、音程が狂うということになり、大勢の人前で意見を述べたり、歌を歌うということが出来なくなってしまいました。この時の影響で、今流行のカラオケなども2003年までは歌うということが出来ない人になっていたんですね。愛奈美がカラオケがあまり好きでない理由はこんな処からきています。

初めてのお化粧

 3年生の頃だったと思います。ある日私も綺麗になってみたいと思い、母の化粧品を使用してみました。色々と試しているところへ母が帰ってきて、化粧品を使ったことをひどく怒られてしまいました。それ以降母の化粧品に手を付けることは有りませんでした。

中学生の頃は? ▼

女の子と遊ぶことが多かったわ

 中学生の頃は女の子と一緒に遊ぶことが多かったですね。割合は男の子が三割、女の子が7割ぐらいでした。女の子と二人で屋内プールなどへ毎日のように遊びに行き、帰りは最終バスでした。この頃は「労音」や「民音」のお姉さん達とも仲良くしていただきました。また、学校という集団の中になかなか溶け込めずに、時々自主休学してダムや山で過ごし心を癒すこともありました。この行為は当然問題視され、それなりの処罰も有りました。

スポーツが大嫌いな訳

 愛奈美はスポーツは苦手なの。授業で行う野球やサッカーで、対抗戦などを行う時、下手故にミスばかり重ねて、終了後皆さんから「何でだよ」「おまえの失敗のせいで負けた」等、と言われ、ますますスポーツが嫌いになっていきました。現在でもスポーツは行うことは勿論、見ることもあまり好きでは有りません。 » 子供の時に受ける影響はその後人生に多大な影響を与えるものですね。本人が努力しても克服できないものも有るのではないかと思います。

長い髪が好きだったわ

 当時はビートルズやグループサウンズ等が流行っていた頃で社会では男性も長髪の人かなりいたと思います。

 愛奈美はこれらの社会性とは別でした。ビートルズが流行る前から、床屋に行くのが嫌でした。(美容室なら行けたと思います)中学校では長髪が禁じられ、耳より長く伸びた髪は強制的に短く切られてしまいました。再三の注意を聞き入れなかった場合は、決まりで級長がその人の髪を鋏で短く切るということが行われ、愛奈美も何度級長にお世話を掛けたことか …。愛奈美の心は女の子みたく長く髪を伸ばしたかったのです。しかし、中学校卒業まで、愛奈美の希望が叶うことは有りませんでした。

中学校卒業後は? ▼

10代の頃

専門学校に通いました

 16歳の頃は、○○○女学院へ通っていました。この頃は、髪も伸ばして肩下までありましたし、服装や靴も婦人物を着用していました。床屋へは行かず、美容室でパーマをかけたりもしたわ。クラスメイトは高卒のお姉さん達でした。女性達の中に居て幸せなはずなのに、私は、なぜかクラスにとけ込めなくて半年で辞めてしまいました。ふっと旅に出たくなり、ヒッチハイクで東京へ向かいました。東京では知り合いの処に居候を決め込み、アルバイトに精出す毎日でした。東京はおよそ一月半の滞在でした。

フルメイクで

 16歳の時に、いつも生地や洋裁用品を買いに行くデパートのお化粧品売り場で「お化粧してみない?」と誘われ、フルメイクをしていただいたことが数度有りました。私はお化粧したことがとても嬉しくて、いつもの町並みを歩き、帰り道も家までそのままでました。そして、お化粧を落とすのが勿体なくてそのまま寝ていました。姉は私のお化粧した顔を見て「あら、良いわね」と言い、母は「みっともないから、止めなさい」と窘めるのでした。でも … なぜか自分で化粧品を買い、お化粧する気持ちにはなれませんでした。当時の社会性で=おかま=と言われることにとても抵抗がありました。

寿司職人への道

 その後、縁があり、お寿司やさんで丁稚奉公することになりましたが、私の姿と声が、お寿司やさんには不向きなために、半強制的に頭は丸刈り、声も低い声を出すように言われ、私は男になるようにと改造されてしまいました。(^0^* オッホホ  **テレテレ**(*' '*)**テレテレ** この頃は見た目にとっても可愛らしい男の子に見えたのではないかしら?

 この時に勤めたお寿司屋さんで、お料理の基本を教わりました。また、小さなお蕎麦やさんの店長も務めました。三年間勤めた後に、古里から遠く離れていましたので、望郷の念が募り、父の危篤の知らせと共にお店を辞める許可を頂き、北海道へ帰ってきました。

 この時に勤めたお寿司屋さんで「一通りの技術は教えたよ。独立してお寿司屋の開店も出来るよ」と言われて帰ってきたのですが、寿司店開店の資金力もなく、地元のお寿司屋さんでは「一から丁稚でやってもらうよ」と言われ、また、3〜5年の下積み生活を強いられることに恐怖感があり、お寿司の仕事に就くことは有りませんでした。

帰道して … ▼

20代以降

 北海道に帰ってから車の免許を取り、20歳で結婚し、1年後に長女が生まれました。 私は子供達が可愛くて、いつもお仕事に連れて歩きました。 何処に行くのも、いつも子供達と一緒でした。常に子供達と過ごすのはとっても幸せでした。貧しかったけれど、それなりに楽しい家庭生活でした。

 私の子供の頃の家庭は …、私が物心がつく頃には既に父は愛人の処にいて死を迎えるまで家に帰ることは有りませんでした。兄達も遠いところへ出稼ぎに出ていて、いつも私の側にいたのは姉だけだったように思います。母は生計のためにお仕事を掛け持ちし、家にいることは少ない人でした。この為私は暖かい家庭というものに強い憧れと期待を持っていました。この家庭への強い思いが結婚という道を選ぶことに繋がりました。そして、父の事を考えると一家の主というものは家族を支えるという責任が有るものだという強い信念になりました。この為、家庭を持った時から子供への強い愛情と家族への責任感から男として、父として家族を支えるということになり、私の心の想いは封印してしまいました。

子供達への愛と共に ▼

美味しいお菓子を作ろう

 家庭生活の中で、当てつけみたいに綺麗に台所を片付けてしまうと言われ、お料理作ることを妻から禁じられてまいました。和食職人の板場のしきたりというか、癖というか、まぁ … 決まり事を普通に行っただけなんですけれど−−−!

 子供が少し大きくなってきて、市販の甘いお菓子はどうもという思いがあり、お菓子を自作するようになりました。お菓子はそれまで作ったことがなかったのですが、本を見ながらそれなりに作ることが出来ました。甘さや味などは勿論自分なりの工夫もし、創作のお菓子などにもチャレンジしたものでした。時には子供達にも手伝ってもらい、家族みんなで和気藹々とした一時を過ごすことが出来ました。私が作るお菓子は子供達やご近所の方々にも好評でした。子供達にとっても忘れられない味となったようです。

離婚してからの愛奈美 ▼

悲しい日々を送りました

 約18年弱の結婚生活の後、経済的な理由で協議離婚しました。 この時から独り暮らしが始まりました。

 最愛の子供達と別れた寂しさに耐えられずに、泣き明かした夜も数え切れないくらいありました。私は、妻と別れたことよりも、子供達と別れたことが精神的に強いダメージを受けました。子供達と別れてから3年間ぐらいは、外に遊びに出歩く気力もなく、外に出かけるのは、お仕事に行く時だけでした。生気を失い、抜け殻みたいな…生きた屍みたいな日々を送っていましたが、その分お仕事に費やす時間が充実していました。

精神的ダメージから私を救い出してくれたのは、空から私を目掛けて来た一条の光と、一人の女性でした。この女性とはしばらく友人関係にありましたが、私が性同一性障害の事でテレビや新聞に出るようになってから、彼女が私を避けるようになっていったのは悲しいことです。残念なことですが、2009年1月現在彼女との交友関係は途絶えたままとなってしまいました。

そして…女性としての生活へ ▼

苦い思い出

そして・・・2000年に男から女へと変身しました。ごく自然に変わっていきました。多少の迷いもありましたが、変身を阻む物ではありませんでした。心を決して生まれ変わってからの生活の方が、社会的な苦悩と葛藤がありました。

詳しくは、 … 「女性生活移行の履歴」へどうぞ!!

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