愛奈美の心の想いを詩とエッセイで綴ります!! <薔薇城の愛 Memorial V/ばらじょうのあい メモリアル 3/The ai Memorial of the rose Castle> / Webmart−友愛

Earth-Poem&Essay-カミングアウトへの道−

カミングアウトへの道

Photo by ⇒Manami

愛奈美のカミングアウト

 私のカミングアウトの足跡を記してみたいと思います。

 カミングアウトにも様々な形態があると思いますし、その後の周りの人たちの対応も個々に違うと思います。受け入れられる人もいるでしょうし、逆に家族からも排除されてしまう人もいると思います。カミングアウトする事により、大きなものを失う事もあります。皆様は是非慎重に考えられ、十分な根回しをしながらカミングアウトしてほしいと思います。また、カミングアウトが全てではない事も考えてほしいと思います。埋没して暮らしたいのなら、カミングアウトしない勇気も必要と思います。このページが皆様のご参考になれば幸いです。

 さて、私の場合を考えてみますと・・・。 家族や周りの人たちの対応など様々な経験をさせて頂きました。私の場合はフルタイムを始める前に、カミングアウトが失敗した時のこともよく考えましたから、私は心の中で一旦過去を清算しました。其れは私の大切な子供達や家族も含めての事です。もちろん友人達も含みます。一旦全て無かったことにし、新たな人生を歩む決心をしたのです。私の場合は最初から独りぼっちでも女性として暮らしていく覚悟が出来ていたと言えますね。この時はさらに、子供達と私の兄姉達だけは時間が掛かっても私が

死ぬまでに解ってもらう努力をしようと考えていました。

 私の場合は、その決心が有って初めてフルタイムで女性として暮らし始めることが出来たのです。ですから、未だに過去の友人達と会うことはありませんし、家族以外の親戚(叔父や叔母、従兄弟達)に会う勇気が出てきませんね。年賀状さえ出せないでいます。毎年積み重なっていく真新し年賀状が残ったままになっているのを見ると少し悲しい気持ちになります。

 私が親戚や男性だった頃の友人達に会えるようになるには、名前の変更が済み、SRSが終わってからですね。しかし、私が直接言わずとも、テレビニュースなどで既に知っていると思います。でも年賀状は届いても、女性になった私のことは一言も触れられていません。私を気遣ってのことだと思います。

 私の子供達はどうでしょうか?

 私が何も言わずとも最初に解ってしまったのはよく遊びに来る二番目の息子です。最初の頃はこの息子も心を痛めていたことでしょうね。半年間程、多少の軋轢もありました。そんな格好で出歩かないでよと言われることも有りました。半年過ぎたあたりから、息子もただ事ではないと感じ取ったのでしょう。親父の人生は親父の物だから親父の好きなように生きたらよいと理解を示してくれるようになりました。それからは息子と買い物に出かけたり、ファミレスでお食事したり、時には居酒屋や焼鳥屋なども一緒に行ってくれるようになりました。その頃少し悲しかったのは、見ず知らずの方が側にいるにもかかわらず、女装している私のことを呼ぶ時に(親父)と呼ぶことでした。息子に違う呼び方が出来ないの?と言ったこともありましたが、他の呼び名が思いつかないと言われ、半ば諦めていましたが、最近は親父と呼ばなくなりましたね。逆に誰かが私のことを(男)と表現することに反発するようになってきたのは、私にとってはとっても嬉しいことです。

 この息子を通じて他の子供達にも私のことがわかってしまいました。上の息子は理解を示してくれていますが、やはり社会的には自分の父親がGIDというのに抵抗があるようです。この息子は結婚しましたが、お嫁さんのご両親に会ったことがありません。息子がご両親に気兼ねしているのだ、と思うと私の心が痛みます。でも、少し離れている街に住んでいますが、私のお仕事が出張が多いため、息子の休みの日と重なることが少ないので、あまり訪ねてくれませんが、年に数度お嫁さんと孫を連れて私に会いに来てくれるのはとっても嬉しいです。

 娘が私のことを認めてくれるまでには2年程の年月が必要でした。かなりの心の葛藤が有ったと思います。半分諦めにもにた心境だったのかもしれません。私が2度目のテレビニュースに出る前日に娘に会い、私のことを訪ねてみました。娘がテレビに出ることを了承してくれなければ出ない覚悟でいましたが、(お父さんの人生だからお父さんなりに生きて欲しい。女性として暮らすなら、中途半端なことはしないでね。)と言い、テレビニュースに出ることも了承してくれたのでした。

 私が女性に変わったことで、私の子供達の心に大きな痛手を与えてしまったことは否めません。でも優しい子供達は、私を理解しようと必死だったのだと思います。そして私の事を認めてくれた子供達に感謝しています。

 私の別れた妻は子供達の会話からうすうすわかっていたようですが、テレビニュースに出て、さらに子供達から詳細を聞き、激怒して私に電話を掛けてきました。(女の人と結婚したことはない、子供達はどうするのか?・・・等々)感情の激しい方だったのでこの様なことも予想はしていましたが、現実のことになると私もこれで良かったのかと考え込んでしまう場面でした。しかし、月日が経つ内にこの方も少しずつ理解してくれるようになっていきました。いまだに言われることは、子供達の父親だったことは忘れないでほしいと・・・。そしてあなたの人生はあなたの物だから、しっかり生きていってほしいと言ってくれるようになりました。これはこれで別れた妻と言っても、子供達を生んでくれた女性の言葉として、私にとってはとっても嬉しいことです。

 私の両親は既に他界して十数年が過ぎています。親が子供に対してどの様に想い、どの様に対応するのか、私の場合は実例がないため想像になります。

 私は幼少の頃より父とは別々に暮らしていましたので、父の事が良く理解できません。父の思いでもあまりよい想いではありません。ただ頑固で自分勝手な父のイメージしか残っていないのが残念ですね。病院に入院していた父を見た時に何故か哀れに思った事を覚えています。私の父親は現在の私を見て許してはくれなかったと思います。おまえは勘当だと言ってそれ以後取り合ってくれないような気がします。

 母親は現状の私を理解してくれると思います。私が幼少の頃から父と別居し(別居は父の勝手でそうなっていました)女手一つで苦労して私を育ててくれた母。朝早くから夜遅くまで仕事をしていた母を恨んだ事も・・・。中学を卒業してから私が髪の毛を長く伸ばし、女装していても何も言わなかった母。女学院へ通うことを反対しなかった母、父とは対照的だったように思います。そんな母の優しい思いやりの中で十代を過ごした私は幸せだったと思います。

 こんな母ですが、私が幼少の時にオママゴトをして遊んだ事を叱られたこと、私が小学生だった時、母の口紅をつけて叱られた事などを思い出します。小学生の頃姉のブラやショーツを密かに付けた事もありましたが、この時とても大きな罪の意識に悩まされたのは何故なのでしょうか?それ以後私は女性の下着は身につけなくなりました。

 私は6人兄姉の末娘です。

 さて、5人いる私の兄弟達の反応はどうだったでしょうか?私が女性として最初に会ったのはすぐ上の姉でした。姉も複雑な気持ちで私を見ていたことでしょう。幼い頃姉妹がほしかった姉は数度私に自分のスカートを履かせ姉の友達の家に一緒に遊びに行ったことなどはもう忘れていましたが、自分の弟が女性になってしまったことに理解を示してくれていると思います。年に1〜2度電話でお話しするぐらいで、普段あまり行き来がない姉が、電話で女性になった私のことをお話ししてから、私の家に遊びに来てくれました。でも複雑な心境でしょうね。まだお化粧も下手な私に(頑張りなさい)と一言・・・。その後もたまに(元気にしている?)と気遣いの電話をくれる姉。いつもありがとう。

 その次は4番目の兄に会いに行ってきました。兄が驚かないように、あらかじめ電話で私の状況を話しておきました。兄は女装の私を見て少しびっくりした様子ですが、私のことをすんなりと受け入れてくれました。兄の妻も私の現状を見てよく分かると言ってくれました。女の感というのでしょうか?男だった私のことしか知らない義姉が私なら女性になっても不思議ではないと・・・。私自身よく分からなかった女性の要素を既に感じていたようでした。この兄はもっと堂々としなくてはいけないと、親戚に対しても気兼ねすることはないと私を励ましてくれました。この兄夫婦は、現在の私にとって一番の理解者かもしれません。

 次は一番上の兄に会いに行ってきました。電話でお話ししてあっても、少しびっくりした様子でしたが、その第一声は(あら、変わっちゃったね)でした。私もこの時は、少し複雑な気持ちになってしまいました。でも、私のことも理解してくれました。さらに東京在住の兄は東京には沢山同じような方がいるからと・・・これは励ましだったのだろうか?でも、女装だった私と電車に乗り、デパートへ行き、お食事も付き合ってくれた優しい兄。ただ、兄の立場上私との関係を公にすることを許して頂けなかったのは、とっても残念ですが、陰に日向に私のことを応援してくれる兄に感謝しています。

 二番目の兄にはまだ会っていませんが・・・。テレビニュースを見て知っている様子。電話で話している言葉から、姉や私の子供達からも色々と聞いている様子で、私のことを否定する様子はなく、身体のことを心配してくれます。一度会いに来いと言ってくれていますが、なかなか会いに行く機会が無く少し残念です。しかし、現状の私を見たら果たしてどう反応するのでしょうか?この兄に会うのは少し勇気がいりますね。でも、近いうちに必ず会いに行きますね。

 最後に三番目の兄には何も言っていません。私が幼少の頃姉の次に大好きだった兄。会いに行くことが出来るかどうか?九州までは今の私にとっては遠すぎます。私のことばかりではなく、この兄の身体も心配なのですが。電話しても繋がらないことが多く、まだ私のことも話していない状況です。しかし、必ず会いに行きますね。その時は兄もきっとびっくりするでしょう。この兄は果たして私のことを受け入れてくれるのでしょうか?

 この様に私の家族達は私のことを理解してくれ、陰に日向に応援してくれています。私の家族に感謝です。いつもありがとう。そして此からも宜しくね。

 職場ではどうだったのでしょうか?

 私は自営業です。この為職を失う事はありませんでしたが、突然男性から女性に変わったことで、皆さん驚きを隠せなかったと思います。一年から一年半が過ぎた頃に(どうして?)と良く聞かれました。

 また、取引先の半数は私だと判らずに男性だった時の私のことを説明し、同一人物であることを理解して頂くのに苦労しました。それ故に私が元男性で突然女性に変わってしまったことをどう思われているのかわかりません。しかし、その後も取引が続いていることを考えると、GIDを理由に排除されなかったのが幸せですね。中には応援してくれる方もいらっしゃって、これは、私にとっては勇気づけられたことの一つですね。

 さらに、取引先の外国人バイヤー達の2〜3人の方は、最初は少し不審に思われたようですが、殆どの取引先バイヤー達は皆さん私のことを(マダム・マナミ)とお呼びになり、女性として認知されているようです。外国の人たちに先に女性として認知して頂いた格好になりますが、此は私にとってすごく勇気づけられましたし、とっても嬉しかったですね。

 私が女性になり始めの頃は戸籍名の名刺を使用していました。しかし名刺を差し出すと不審に思われ、仕事の話すら満足に出来ず、仕事にならなかったですね。特に初めてお会いする方は皆様同じ反応をしました。此では仕事にならないと、半月程色々と考え女性名を名乗ることにし、現在に至っています。しかし、通関書類などは戸籍名を使用しなければならず、税関などには二つの名前を使用することになってしまいました。二重の名前の不自然さと不便を感じて三年半の間生活してきました。余談ですが、戸籍名を使用できなければ、私文書・公文書偽造になる可能性もありますし、生活上の色々な契約が出来ない現状があります。私の場合は、この為に生活上に支障を来しているのが現実です。

 さらには取引先では支障がなかった物の、私は北海道をくまなく廻っているために、各地で色々な方とお会いします。皆様一過性で二度お目に掛かることはないと思いますが、その中の一部の方から雑言や罵声を浴びることがあります。中には耐えられないことを言われる方もいらっしゃいました。此をじっと我慢し耐えて来られたのは私を認めてくれた女性のお友達の力が大きかったですね。精神的に落ち込んだ私を支えてくれたお友達に感謝します。いつも私を応援してくれてありがとうございます。

 さらに、社会的認識としてはMTF=水商売と思われている方がとても多いですね。私も取引先などでも良く聞かれます。どこでお店をしているの?又は、どこのお店に勤めているの?です。此は街でラーメンを食べている時でも知らない人から良く聞かれます。この事は逆に言うとリードされていると言えますね。だけれども、私のキャラクターがそのように皆様に見えるのでしょうか?すこし疑問です???しかし、どうしてこの様な発想しかできないのか?この事はマスコミ報道(テレビや雑誌など)が原因になっている事もあるかと思います。この辺に社会の問題点が潜んでいるように感じます。

 この様に仕事場でも私のことを理解して頂き、今まで仕事をさせて頂いたことに感謝致します。私が生活できるのも、クラブサンライズを運営してこれたのも、仕事が出来て初めて可能になったことです。取引先の皆様のご理解とご協力がなければ、今の私は存在し得なかったと思います。今日まで応援頂き、ありがとうございました。此からもよろしくお願い致します。

 社会的カミングアウトとは?

 私はクラブサンライズの活動をするようになってテレビや新聞のニュースに取り上げられ、社会的カミングアウトが進んでいきました。此が良かったのか悪かったのか考察してみたいと思います。

 社会的カミングアウトに関して・・・色々ありましたね。私が女性としてフルタイムを始めた頃、大家さんとの軋轢もありました。其れよりも、顔見知りの女性の方に奢りますから一緒に飲みに行きましょうと誘われOKしました。ところが、まだ付いているんでしょと、いきなり股間をまさぐられ、タクシーに乗ると何も知らない運転手さんに、私の事をさして(この人こんなに見えるけれど男なのよと)何度も言っていました。さらにスナックに入ると、そのお店のママさんや女の子達、さらにはお客さんにまでこの人は男の人よと言いまくる始末・・・。この時はさすがに私も切れて(そうよ!私は男よ!!男でどこが悪いのよ)言ってしまったわ。その後逃げるようにそのお店を出て、泣きながらお家に帰りました。

 この様な事はマスコミで報道されるようになってから、さらに増えています。いきなり股間をまさぐられたり、まだ付いているんでしょとよく言われます。此は逆に言えばあんたは男で女じゃないのよと言っているのと同じ事ですね。社会の私への認識は其れまで埋没で女性だったのがマスコミで報道される事により、逆に男性として再認識してしまったと言う事でしょうか?さらには焼鳥屋さんで初めてお会いした方などに大きな声で男なんだからと、何度も言われる始末です。此にはさすがの私も辟易してしまいました。

 さらには街を歩いていて、(この間新聞に載っていましたね)と言われたり、テレビ見ましたよとよく言われるようになりました。テレビもニュースの収録は2回だったのに、その画像を使い廻して何度も放送されました。私の知らない間に特番などで放送され、此が社会が私個人を認知する事に大きく繋がっています。

 私がマスコミに出たのはGIDが社会に認知されるために必要と判断したからです。私生活にもかなり影響が出ると考えていましたが、私の予想を遙かに超えてしまいましたね。マスコミに登場せず埋没系で暮らしていたなら、もう少し穏やかに暮らせただろうと思います。でも、マスコミに出る事により、私個人の事は置いておいて、社会がGIDのことを知るきっかけになったと思います。今までは遠い出来事のように思っていた地域の人たちに、実は自分の身近にもいるんだと認識していただくことになったと思います。この事はどんな地域にもGIDが身近にいると社会に認識して頂く効果があったと思います。この行動が良かったのか悪かったのかは私にもわかりません。

 マスコミに取り上げられた事で、社会的認知が進み色々な考えの人が出てきましたね。でもその多くは表面上はセクシャルマイノリティを認めても、その心の中では認める事が出来ないと思われている方が多いと思います。この為に私とのお付き合いを廻りの人からとやかく言われるのが嫌で私から去っていった友達がいたのが残念でなりません。友達を失うことになった私の心の大きな痛手でした。もしかしたら私には全く関係のない当事者の方にも同じ事が起こってるかもしれません。しかし、この事は私が意図していた事と全く逆の事で、まるで予想していなかった事です。お許し願いたいと思います。

 こんな事が続いてフルタイムで女性として暮らしている私は自分のジェンダーアイデンテティが揺らぐ事になってしまいました。自分は確かに男として生まれたけれど、女性で暮らす自分の方が自然なのに、自分はどっちなんだろうかと・・・。昨年の性別変更の特例法が出来てトランスジェンダーには暮らしづらい社会になってしまったようです。SRSが終わらなければその存在は認めないという社会風潮が出来上がりつつあると思います。性別変更の特例法で当事者が救われるどころか、逆にその存在を脅かす事になっている事が残念ですね。

 社会的に大きくカミングアウトする事は自分の過去の性別を一生引きずっていく事になると思います。私の事を全く知らない地域に住む事が出来ればSRS後に埋没して暮らす事も可能ですが、テレビニュースや新聞・雑誌などのマスコミに登場する事は此を難しくすると思います。結局社会的私への認識はSRS後も(元男性だった女性)として認識され、社会的には女性になりきる事が出来ずに、一生涯私を苦しめる事になるかもしれません。

 しかし、私はそれでも構わないと思っています。こうして誰かが社会に向けて情報を発信し運動していかなければ、社会が私達の存在を認めてくれませんね。身近にもセクシャルマイノリティの方々が沢山いるんだから、同じ人間としてその人権を尊重し、一人の個人として対等にお付き合いしていこうという風に社会が動き、セクシャルマイノリティの方々が依り暮らしやすくなって行ければよいと私は思っています。其れが私に科せられた使命と自覚し、今後も機会が有れば社会に向けて情報を発信していこうと思います。

 私は不完全な人間かもしれません。間違っても神や仏にはなれません。悩み多く感情の起伏も激しいかもしれません。私は学歴もありませんし、頭も悪い方に属すると思います。文章能力にも欠けますし、きちんとした日本語が話せないかもしれません。さらに、勉強不足も否めません。その為多くの誤解が生じる事になるかもしれません。皆様が私の言っている事などに対して、おかしいと思われた時はご遠慮なく申し出て、私を指導してほしいと思います。皆様から指摘され、私の理解不足や、私が間違った事を言ったと自分で判断した場合は、素直に認めますし、修正致します。皆様が私におっしゃる事は、皆様を代弁して、そのまま社会に向けて言い続けていこうと思います。ですから、私を通して社会に発信したり、社会を変える事に繋がっていくと思います。

 私が間違った方向へ進まないように、皆様のご指導やご意見をお待ちしています。

 私と一緒に少しでも社会を変えていきましょう。

 さて、カミングアウトがどこまで必要なことなのでしょうか?今まで暮らしてきた性別といきなり違った性別の自分がそこにいること自体が違和感に繋がるかもしれません。家族や近しい友人、職場などではいきなり変わってしまうのは周りの人たちに戸惑いが出て来ると思います。此は大きな軋轢になって良い結果を生まないのではないかしら?ではどうしたらよいのでしょうか?根回しをして、焦らずゆっくりと時間を掛けて進めるべきだと思います。カミングアウトした時の状況を色々と考えて下さいね。その上でどうするべきか良く考察致しましょう。

 しかし、私の場合はカミングアウトして悪い事ばかりでは無かったですね。応援者、支援者も大勢いました。これらの人々から、勇気と元気を頂いただきました。それ故にへこたれずに今日まで暮らしてこられました。もし、社会が私にとって悪意を持った人たちが多ければ、私は既にこの世に存在しないかもしれませんね。社会全体でトータルしてみますと、私にとっては善意の理解者の方が多かったように思います。だから、此からも頑張って生きて行けると思います。

 皆様にとっても、善意有る理解者が大勢おられる事を祈ります。

 また、ご家族が理解して頂けるように願っています。皆様にご多幸有れ!!

 私のカミングアウトも色々な意味で良い勉強をさせて頂いただきました。

 最後までお読み頂きありがとうございました。

2004年4月1日 記
    
愛奈美の空飛ぶ船
ライン


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